年齢を重ねれば、悩みを薄らぎ、悟りに近い境地に行きつけるのではないか、そう期待して生きてきたのですが、人生、そんなに甘くはありませんでした。

 

年齢が上がればあがるほど、悩みは深まり、これまで思ってみなかった新たな苦しみが不可されてくるのです。

 

では、死に向かって、苦は大きくなるばかりかというと、決してそうではありません。

 

「信じる者は救われる」という言葉がありますよね。これはもととも聖書の中の言葉らしいのですが、広く一般に使われてるようになりました。

 

ただ、この「信じる者は救われる」という言葉の意味を、60歳を過ぎてみて、違う視点からとらえられるようになったので、そのことについてお話ししたいと思います。

若い頃は、人を疑い、人生を疑っていきるのは辛いので、人のことを信じて生きていきたいものだ、と漠然と考えておりました。

 

人生、裏切られることは多いのです。

 

私は、親友に時分の彼女を奪われた経験を持っています。それでも、人を信じようと思い続けてきました。

 

でも、60歳を超えてみて思うのは、私が若い頃から「信じる者は救われる」という言葉を胸中に抱き付つけてきたのは、自分の弱さゆえだったとということです。

 

「信じる」、この言葉を私が使う時には「人に助けてもらいたい」「自分を信じてほしい」「自分を愛してほしい」という願望が、背後にあったのでした。

 

要するに、「信じる者は救われる」を、他者への依存心から使っていたのですね。

 

60歳を過ぎて、逆のことを思っています。

 

人を信じるとは、その人に何かをしてほしい、自分のことを第一に考えてほしい、という期待を込めてはいけないのです。

 

他者に期待しない、見返りも期待しない、逆に、他者の考えや行動を受け入れ、認め、見守ることが「人を信じること」の基本であると、60歳を過ぎて気づきました。

 

ただ、今後の課題としは、上記の考え方を貫くには、自分にゆとりがなければ不可能なので、経済的にも精神的にも、もっと粘り強くならなければいけないと思っています。

 

自分が強くあること、それが「信じること」の基本なのです。