前回、60代のモテ期について語りましたが、決して私はモテているわけではありません。男女交際を思いのままに謳歌しているわけでもなく、むしろ、かなり切ない精神状態を強いられているのです。

 

肉体的な衰え、年齢格差など、当然のことながら、マイナス要因は多いわけで……。

 

今日は、なぜ60代の恋愛が切ないかについて、ちょっと踏み込んで、お伝えしたいと思います。

60代の恋は、なぜ、切ないのでしょうか?

 

もちろん、これからお話しすることは、私のプライべートな実感です。ただ、私と同じシニア世代の人たちには、相通ずることがあるのではないかと推測しています。

 

見返りを期待できない恋は切ない。

 

60代の恋愛は、私の場合、基本として「見返りを期待しないこと」を基本としています。

 

なぜ、「見返りを期待しない」と思ったのか?

 

そこに定かな理由、意図的なものはありません。

 

ただ、本能的に、直感的に、見返りを期待してはマズイと判断し、無償の愛ならぬ、無償の恋を目指すようにしています。

 

今想えば、単なる私の臆病風から、無報酬の恋などという消極的なスタンスを選択したのかもしれません。

 

あえて、短い言葉で表現するなら、「見返りを期待しないこと」で、恋のようなもの、異性への思慕を、それ自体に意味(精神的な価値)を持たせ、長引かせようとしたのでしょう。

 

ただ、若い時のような激情、狂おしい肉体的な満足感などはなく、ストイックで切ない、自制的な恋愛になっているのです。

 

60代の恋は、行方もわからない、終わりやすい恋。

 

正直、60代の恋の行方はわかりません。

 

長い人生経験から、うまく自分も相手もコントロールできて、恋愛を楽しめるのが「60代の恋」だと言いたいのですが、現実は甘くはないのです。

 

むしろ、若い頃の恋以上に、もろく、はかないのが「60代の恋」なのではないでしょうか。

 

帰着点や終着点などは全く見えず、明日のことすら定められません。

 

何しろ、「60代の恋」は、終わりやすいのです。

 

なぜなら、諦めが早くなっているし、自ら身を引くという、気弱さが出てしまいがちだから。

 

そういう「終わりやすい恋」に意味を持たせ、少しでも長く、美しく切ない慕情に浸っているためには……それなりの対策をしなければなりませんね。

 

しかし、そういう対策って、あるものでしょうか?

 

聞き役に徹すること、見守るだけの愛に耐えられますか?

 

自分のエゴや欲望を前面に出した時、「60代の恋」は終結に向かう危険と直面してしまいます。

 

ですから、若い頃にはできなかったことをしなければなりません。

 

まずは、相手の話に耳を傾けること。とにかく、聞き役に徹する。

 

そして、相手の良さを殺さず、伸ばすようにして、自由に躍動させる方向に仕向けること。

 

相手の幸せだけを考えて、「見守るだけの愛」に徹することができれば、「60代の恋」は永続的に続くでしょう。

 

でも、そんなストイックな、どエム的な恋に自分自身が耐えられるかが問題になります。

 

私の場合は、どうでしょうか?

 

頭ではわかっているのですが、心がまだ純化できていない感じ。

 

まだ、業というか、うごめくものが胸中にあり、それが首をもたげてきそうで怖いのです。

 

果たして、私の「60代の恋」は、いったいどこに行くのでしょうか、どこに舞い降りるのでしょうか。