これまでブログで政治については、一度も書いてきませんでした。その理由ついて長々と書く気はありません。

 

ただ、イデオロギーによって、聖者と悪者を仕分けすることは、人間的ではないと考えてきたことは確かです。

 

では、なぜ、この機会に政治について書く気になったのでしょうか?

たぶん、日本の政治は、重大な決断を迫られており、戦後70年以上も日本人の精神を蝕んてきた、決断を先送りにするという欺瞞が、ついに通用しない状況に追い詰められたと思うからです。

 

私はこのブログで、日本も核武装をした方がいいとか、軍隊を持つべきだとか、現行の憲法を破棄して自前の憲法を制定するべきだということを、声高に叫ぶ気持ちはありません。

 

ただ、長く続いた平和の中に、私たち日本人の精神を危機的状況にまで追い込んできた悪魔が棲んでいることは明確です。

 

その悪魔を除去しないかぎり、平和な時代に生まれ育ってきた60代の人間も、今後、死ぬまでの時期を、自分自身が納得いく形で生きられないと思います。

 

だから、人として納得する生き方をするためには、国にも「今は仕方がないから我慢しよう。大きな決断は未来の良い時期を選んですればいい」と先送りににしてきた「大きな決断」をしてもらいたいのです。

 

その意味もあり、ここ数年間、戦中戦後の歴史を学んできました。

 

特に、現代の日本人に大きな影響を与えているのが、戦後の日本を統治したGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が実行した、言論統制です。

 

マインドコントロールと呼んでもいいでしょう。

 

検閲、焚書などが厳しく実行され、中でも「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(War Guilt Information Program、略称:WGIP)は、日本人の精神を根こそぎ「腑抜け状態」にするという徹底したものでした。

 

この徹底した戦略により、日本人の精神は空洞化したのです。

 

現代史にうとい人が多いとは思いますが、せめて、戦後のGHQの行った占領戦略だけでも学べば、現代の日本人がどうしてこのような「精神の荒廃」にまで追い詰められたのかが理解できるでしょう。

 

私は残りの人生を「自分らしく生きたい」と希っております。

 

この「自分らしくあること」が実に難しい。

 

それは、大東亜戦争(太平洋戦争)と戦後の歴史を学ばないかぎり、見えてこないのです。

 

また、日本の進むべき道を変えてゆかないかぎり、「自分らしく」は生きられないと痛感しています。

 

ですから、このブログにおいても、政治のこと、歴史のことも、書いてゆくことになると思うのです。

 

政治や歴史に無関心では、自分自身の残りの人生を全うすることは不可能だと感じています。