いろいろと恋愛結婚について悩んできましたが、一つのことに思い至った時、吹っ切れた気持ちになりました。

 

これまでの私の姿勢は間違っていたと思います。

 

結婚をかなえるには、いくつもの条件があって、それらを一つひとつクリアしてゆけば、結婚できるのではないかと考えていたのです。

 

この考え方は大間違いだと気付きました。

 

なぜ、そのことに気づいたかというと……

 

結婚に必要な条件を一つひとつ、お城の外堀内堀を埋めてゆくようにクリアしてゆけば、その先に結婚が見えてくると思っていたのです。

 

とんでもない!

 

そんなことで結婚などてきるはずがありません。

 

そのことに気づいたのです。

 

結婚すること、相手を無条件で信じることです。そして、相手からも無条件で信じてもらうことです。

 

担保、根拠、裏付けなどがなくても信じることが、本当に信頼であり、愛なのだと思います。

 

いえ、信頼に、担保や裏付けなど、あってはならないのかもしれません。

 

お互いに、疑いを持ち、駆け引き、計算などに明け暮れていては、到底、結婚などおぼつきません。

 

蒼空を見て奇麗だと感じるように、理由もなく愛してしまう、そうした無垢で無邪気な感情がなくて、どうしていっしょに暮せましょう。

 

私が偉そうなことを言うつもりはなく、むしろ、今頃、このことに気づいたことを恥じているくらいなのです。

 

でも、遅くても、気づいてよかった。

 

「愛」というと漠然としてしまうけれども、「無条件の愛」が不可欠だと知れば、心にかかった霧は吹き消せます。

 

ただ、相手が私のことを疑い、損得勘定によって私の価値を判定しているとしたら、すべてが終わりだと知らねばなりません。

 

答えは残酷です。

 

K子とのことがどうなるかはわかりません。

 

しかし、私が無条件でK子を信じられなければ、またK子が私のことを無条件で信じてくれなければ、意味がないのです。

 

誰も、完全に、無防備なまま人を信じることは難しい。それはわかっています。

 

でも、その難しいことが可能になるからこそ、結婚する価値があるのではないでしょうか。